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築地波除神社  築地の 守り神 [街あるき]

築地の埋め立て工事は江戸湾の荒波によって難航。その工事の最中、海中から稲荷明神像が発見され、社殿にお祀りしたところ、海が静まり工事が完成した。それ以来、「災難を除き、波を乗り切る」 築地波除神社は、築地の守り神として信仰されています。境内には、現代屈指の彫刻師・知田清雲氏が手がけた「お歯黒獅子」を納めた獅子殿、活魚塚、海老塚、すし塚など築地の地らしい供養塚が並ぶ。
* ネットの記事より拝借しました。


久々に出かけた築地はお祭りの跡片付けで大変、神輿の分解作業を初めて見ましたが大変です。

アルコールの応援なしでは無理かも知れませんが皆さん明るい良い顔をされていました。

築地・豊洲と議論盛んなこの季節、地元の方にお聞きしましたら、市場は築地に決まってるんだよ

絶対 波除神社 に守って貰うさ~さてどちらに軍配が上がるかな~

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まつりの責任者の方らしい?動かずに神社を見つめていました。




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オイⅰおじさん、美女と記念撮影してやるから間に入ってⅰの声かかり 遠慮なくパチリ



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谷 中  食事処 菜の花 [街あるき]

上野から芸大前を歩き20分位かな?聞かぬは恥と芸大の方々にお伺いし,やっとのことで到着ⅰ

谷中の有名店 菜の花 食材はすべて佐渡島からの直送との店のご主人の話、土日は席の空き待ち

で長蛇の列ができるとの話に11時半に女房殿と店の前に、平日なのに7~8人の方が並んでた。



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このお店、ランチでは物足りないかも?ただしご飯のお代わりは自由との事です。
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ラーメン激戦区・・荻窪 [街あるき]

激戦区の荻窪ラーメンⅰ このフレーズはわたくしの胃を刺激するのです。

一人歩きが許可にならない現状では妻殿に頭を下げて連れていってくれることを祈るしかない。

そんな荻窪ラーメンです。

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我が家の近場にある関東バスの停留所から荻窪まで30~40分位で行けます。




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こんな簡単な看板を見ておとなしく並ぶ日本人は暇?



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自分の番が来ると行動の早いことⅰ




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店内もチョロスナで



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妻殿はワンタンメン



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私はつけ麵です



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この店も繁盛していました


*この日は中古カメラやさんに寄る予定が疲れてダメでした。


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築地本願寺・築地場外市場 [街あるき]

築地本願寺は江戸時代の1617年に、西本願寺の別院として浅草御門南の横山町(現在の日本橋横山町、東日本橋)に建立。「江戸海岸御坊」「浜町御坊」と呼ばれていた[注 1]。しかし明暦の大火(振袖火事)により本堂を焼失。その後、江戸幕府による区画整理のため旧地への再建が許されず、その代替地として八丁堀沖の海上が下付された。そこで佃島(現中央区佃)の門徒が中心となり、本堂再建のために海を埋め立てて土地を築き(この埋め立て工事が地名築地の由来)、1679年に再建。「築地御坊」と呼ばれるようになった。なお、このときの本堂は西南(現在の築地市場)を向いて建てられ、場外市場のあたりが門前町となっていた。
1923年9月1日の関東大震災では、地震による倒壊は免れたが、すぐ後に起こった火災により再び伽藍を焼失。また、58か寺の寺中子院は、被災後の区画整理により各地へ移転。
現在の本堂は1934年の竣工。古代インド様式をモチーフとしたこの建物は、当時の浄土真宗本願寺派法主・大谷光瑞と親交のあった東京帝国大学工学部名誉教授・伊東忠太による設計である。当時の宗教施設としては珍しい鉄筋コンクリート造で、松井組(現松井建設)の施工により建築された。大理石彫刻がふんだんに用いられ、そのスタイルは現在においても斬新かつ荘厳で、築地の街の代表的な顔である。本堂は日本国政府の重要文化財に指定されている。 浄土真宗本願寺派の新体制移行(2012年4月1日付)に伴い、正式名が従前の「本願寺築地別院」から「築地本願寺」になった。これにより、築地本願寺は全国唯一の直轄寺院となる。

以上「Wikipedia」よりお借りしました。


58か寺の寺中子院は、被災後の区画整理により各地へ移転。この移転先で知られているのは
26もの寺が集中する世田谷区北烏山の寺町と呼ばれる地域です。




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築地本願寺

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左側は工事中の築地本願寺納骨堂です。


ここから歩いて近くにあるのが元門前町であった場所にできた築地場外市場です。
この日は以前のような爆買いの方々の姿は少なく、休日の人出くらいでした。

ここで面白い話を・・ここの土地から移転を余儀なくされた寺の住職さんの話によると
今でも、この一角で商いを続けており、週1は築地場外市場勤務とのことです。
そう言われてみると御寺さんが店の裏手に何軒か残っていますが??


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この商品の並べ方に魅力を感じます。



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ターレと呼ばれる小型三輪自動車も築地場外市場の顔です。



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この日は疲れが出て余り取材もできませんでした。



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聖路加国際病院・・中央区 [街あるき]

築地魚市場などへは何度か来ているが、近くの聖路加国際病院へは初めての体験です。

病院の中で写真が撮れること自体が驚きです。基本としては医療関係者以外はダメとの事で

引率していただいた方の交渉力に感謝の気持ちをお伝えしたい。

沿革などは病院のホームページからお借りしています。


沿革

創設者
ドクター・トイスラー
キリスト教の愛の心が 人の悩みを救うために働けば 苦しみは消えて、 その人は生まれ変わったようになる この偉大な愛の力を、 だれもがすぐわかるように計画されてできた生きた有機体がこの病院である
本院は創立以来、キリスト教精神の下に患者さん中心の診療と看護を実践してきました。その精神は新病院にも受け継がれ、永遠に生き続けます。
  This hospital is a living organism
designed to demonstrate
in convincing terms
the transmuting power of Christian love
when applied
in relief of human suffering.
                                       Rudolf B.Teusler(1933)



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ドクター・トイスラー



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ドクター・トイスラーさんが住まわれていた家


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小児科への通路




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礼拝堂へ続く


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東京メトロ日比谷線下車 中央区明石町9-1



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花魁道中 2・浅草四丁目 [街あるき]

一週間遅れの花魁道中 2です。

花魁特有の三枚歯の高下駄を履き、独特な歩き方をするので行列はとてもゆっくりと進みます。
これを撮るのが大変です。動きがわからないのでひたすらパチパチでした

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花魁道中が現れました。見物人は押すな、押すなで



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さすが花魁、貫禄ありで美しい



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アップして見ました



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これから三枚歯の高下駄を履き、大変です。



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見物の方も和服の方がたくさん、押されながら撮るのが大変でした



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髪飾りも素敵です



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あまりにも見物の方が多く、四時前に引き上げです


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目青不動尊・・三軒茶屋 [街あるき]

私が住む世田谷西部からは京王線・下高井戸駅で2両編成のかわいい東急世田谷線と乗り継ぎ、
三軒茶屋まで40分あまりかかります。

五色不動(ごしきふどう)は、五行思想の五色(白・黒・赤・青・黄)の色にまつわる名称や伝説を持つ不動尊を指し示す総称。東京(江戸)のものが有名であるが、厳密には四神や五色に関連する同様の伝説は各所に存在し、それが不動尊と関連付けられたものを五色不動と称されることがある。なお、本項では主として東京の五色不動について解説。

東京の五色不動は、目黒不動、目白不動、目赤不動、目青不動、目黄不動の5種6個所の不動尊の総称。五眼不動、あるいは単に五不動とも呼ばれる


五色不動は江戸五色不動とも呼ばれており、江戸幕府3代将軍・徳川家光が大僧正・天海の建言により江戸府内から5箇所の不動尊を選び、天下太平を祈願したことに由来するなどの伝説が存在する。史跡案内など多くの文献ではこのような説話に倣った由来が記述されているが、資料によっては伝説の内容にばらつきも見られる。

一方で五色不動を歴史的に研究したいくつかの報告によると、実際に「五色不動」という名称が登場するのは明治末または大正始めであり、江戸時代の史実とは考えにくいとしているが、伝説自体は江戸時代から伝わる噂話に原型が見られるという。

また名称を別とすれば個々の寺院や不動像自体は江戸時代(以前)からの歴史を持つとされる。特に目黒不動・目白不動・目赤不動については江戸時代の資料からもその名称が確認でき、江戸の名所として「三不動」の名で知られる[1][2]。

このうち、目黒と目白は山手線の駅名ともなり、特に目黒は区名となっているため有名である。

なお五色不動は基本的に天台宗や真言宗の系統の寺院にあり、密教という点で共通しているが、不動明王に限らず明王は元来密教の仏像である。

五色不動の場所[編集]
目黒不動 - 瀧泉寺(東京都目黒区下目黒)
目白不動 - 金乗院(東京都豊島区高田) 江戸時代は現在の文京区関口江戸川公園付近にあった新義真言宗新長谷寺の本尊
目赤不動 - 南谷寺(東京都文京区本駒込)
目青不動 - 教学院(東京都世田谷区太子堂) 本来の寺名は平井の目黄と同じ最勝寺
目黄不動 - 永久寺(東京都台東区三ノ輪)
目黄不動 - 最勝寺(東京都江戸川区平井)

江戸時代以前に目黒・目白が存在している。目黒は将軍家光の鷹狩りに関連して尊崇されていた。目白は、将軍家光が目黒にちなんで命名したとも、目白押しから名付けられたともいう。

また、江戸時代初期の動坂(後述)には、伊賀の赤目に由来する赤目不動があったが、家光の命により目赤と名乗るようになり現在地へ移ったと称する。

以上3つの不動については、江戸時代の地誌にも登場するが、天海と結びつける記述はまったく見られない。

教学院はもともと青山にあり、「青山の閻魔様」として親しまれていた。ここには近くにあった廃寺から不動像がもたらされている。明治40年代にこの寺院は世田谷区太子堂に移転し、その頃から「目青不動」を名乗るようになった。

以上wiki pediaよりお借りしています。


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2両編成のかわいい電車です


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こんな光景も


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参拝者も少ない様で、30分ほどの間に10人くらいと静かです



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カメラはsony dsc-hx90vを使用しています。


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散歩・・調布市仙川 [街あるき]

体調不良が続きカメラ片手に歩きはすれど被写体が見えない日々が続く、もう4月だというのに

さえない出だしの新年度です。

散歩コースは隣接の三鷹市仙川、いくつもの大学、高校があるので若い世代が多くお洒落な町。


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芸術活動も熱心な街



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店の前で日向ぼっこ



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こいつは目立ちがりや



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街づくりの感覚も素晴らしい、ーおらほ橋ーのバス停・・捨てられない思い出?



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新宿御苑近くで見る日常の風景 [街あるき]

桜の便りがにぎわう新聞紙上や放送に負けじと四谷から新宿御苑近くまで、日常の風景を

追いかけて見ました。足元は安定せず、カメラも重い一日でした。

幹事さんの日にちの選定抜群で楽しませていただきました。感謝で~す。



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*毎回、写真説明なしのブログで申し訳ありません。



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花の横浜異人館 [街あるき]

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3月19日の横浜は大変な人出、横浜にある妻の実家の墓参りで中華街で昼食したが道は

人があふれて大混雑ⅰ墓参の後、山手の異人館を訪ねたが御多分にもれず人・人人・・

特別なイベントは有りませんでしたが、日常にない雰囲気と飾られた花々に心癒されました。



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